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合併前の各市町村規模、人口の大きな1500人位の集落又は、若しくは小さな集落の人口を幾つか集めて1000人程度の規模となる地域には「人口再生シミュレーション」ツールは有効です。
しかし、1000人を割る人口になると、Uターン前後の若者層は各5歳階級年齢で10人前後となってきます。こうなると、少ない移動で移動率が大きく変わるため長期的に信頼できる数値とはなりません。そこで、とどれだけの乖離があるかを確認すために、h22-h27年、h22-r2年の二つの期間の移動率を別々に作成すると共に、両期間のグラフを自動的に比較できるようにしてあります。この二期間のグラフの乖離の程度を確認ください。その結果、もし乖離が大きく、修正するにも原因を発見できない場合は、このツールを使うことは避けた方がよいと思います。
なお、断念する場合でも若者の半分はUターンするようにしようなど「移動率」を任意に決めて、いろいろなケースで計算することをお勧めします。定年になった古里出身者に「終の棲家」にしてもらったらどうなるかというのもよいでしよう。移動率が安定してくる30歳以上の年齢階層は生残率だけで計算して、現時点で集落の活動を担っている人が将来何人になるかを知るのもよと思います。自分で計算すると、移民規模でも止まらない人口減少が、僅かな人数で安定することがあるなど、今までに気づかないことが見えてくる場合があります。
集落人口の減少の捉え方については、次の(1)の農業の場合のように、「人口の減少を止める」ではなく「担い手を確保する」という「攻め」の捉え方を提起します。特に、新しい方法ではなくて常識といえば常識の範疇なんですが、人口全体の減少に目が行ってしまう場合が多いようです。
上のアイキャッチ画像に使った人口ピラミッドは、佐渡島の農業経営者の人数です。2020年農業センサスで合計3,404人とありました。農業人口の高齢化、若者層の少なさがわかり、課題は担い手の確保ということがわかります。
実際にも、人口ピラミッド全体に対して「農業人口の減少」というよりは、それの減少に対応した「担い手確保」の対策が中心です。きっと、農業は農地とわかりやすく繋がっているため、耕作放棄地とならないようにしたいことが念頭にあるためだと思います。
「農業人口の減少を止めよう」というよりは、「担い手を確保」しようという「攻め」が表に出ています。これと同様の捉え方を「集落の人口減少」でも次項(2)のようにしよう….ということです。
「集落の人口減少」の場合をみましょう。下の例は、人口95名の集落で60歳以上が71名います。そして人口ピラミッドの構成は、上の農業同様に大きく崩れています。しかし、捉え方は「人口の減少を止めたい」が中心です。
しかし、この地域の40年後を考えると、人口減少とは、この60歳以上の方が100歳に向けて順次亡くなっていくことともいえます。それは(ここ)でも記載したとおりです。
それであるならば、上の「農業の場合」で記載したように、既に決まっている高齢者のことは別にしてよいのではないでしょうか。
農業の「担い手確保」に相当する「若者層」「子ども層」の確保を前面に出し、人口減少対策というよりは、若者の世代や子ども世代を何人か確保するかとか、年齢バランスを健全にしようとか、出生数を多く使用など、「攻め」の視点に農業同様に前面に出してよいのではないかと思います。
考え方と行動や活動の流れを次のように箇条書きで示しました。
かつて、全国過疎調査として、佐渡島の両津地区よりも高齢化が進んでいた地域のうち60カ所に対して、商工会を通して調査したことがあります。調査内容は一つだけ、「過疎で困っていることは何ですか?」をカードに書いてもらうものでした。回答は、田畑が荒れ放題とか、祭礼行事ができなくなったとか、若者が地域などの行事で忙しくなった等(ここ)※1同じようなことでした。わかったことは下の図のように、5万人の地域も、1万人、5千人、3千人の地域も、以前のシステムをより少ない人で行うために出る支障でした。そこから出た答えの一つは、「頑張る特定の人に頼るよりも仕組み替え」、そして「とにかく地域を盛り上げの地域の活性化」など「攻撃は最大の防御」というやり方ではなく、地道に攻めと守りの両方を大切に行うことでした。
※1「過疎地で何がおきている」「過疎・・そのポイント!」「過疎の《困りごと》キーカード」を参照
40年後には60歳以上の方の殆どが亡くなり、その人数は殆どの集落で現時点で人口の半数前後でしょう。では、今の60歳以上の人口規模を40年かけて増やせるかといえば難しいことです。
今後も減少するのであれば、自分達と次世代の集落に関する”ヒト・コト・カネ”の負担軽減のための話し合いを始める時期ではないでしょうか。大正時代?に「生活改善運動」なるものがあったと聞きました。詳細は知りませんが、同様な運動が集落に必要な時にあると思います。
集落は、自分達のテマ・ヒマ・カネを今も将来も負担する現場です。前記「(1)頑張るよる仕組み変え」のように、人の多いときのやり方を少ない人数で行ったり負担するための「困りごと」が続く過程が過疎化でもありました。活動できる”ヒト”の減少にともなう「困りごと」については、どの集落も既に顕在化(ここ)していると思います。
お金の面でも、集会場は通常の維持費だけではなく、古くなるにつれ修繕費も比例して高くなります。また、多くは集落の人口の半数以上を占めている高齢者が亡くなりますから、建物の解体が必要な頃には、人口はかなり少なくなっている可能性があります。人口が少なくなる地域に残った人だけが負担することなく、今から資金調達する方法を検討するなど、早めの話し合いと着手が必要でしょう。
人口には慣性があり、何らかの対策をしても結果が出るのは数十年先となることが多くあります。これは、今は前世代の結果で、今は次世代の舞台づくりをしているとも言えます。遠い将来を見るべきというのではなく、目の前にいる子ども、そして孫のために集落の見直しが必要と思います。
どの地域も「移住」をねらっています。私の住む地域は移住者が一つの集落を形成するまでになっており、この10年間以上は人口は横ばいです。区長と集落長に携わり感じたことは、多様な考え方の人々が集まり一つのコミュニティーを形成し維持することは、かなりの努力を皆さんが行っているということです。
ともすれば、移住することで人口減少を止め、地域の担い手は確保されると短絡的になりがちです。それは、その集落への移住者が少ないためであり、多くなるほど多様な考え方をする人達による新たなコミュニティーづくりのスタートに過ぎません。もちろん、そのような異質の人達が集まるところでこそ、新たな生活や文化が創られるわけでもあります。
以上から、コミュニティーづくりの面からも、今困っている集落の問題や課題は今の人達で解決させてから引き継ぐことが大切、そのように集落長→区長→集落長に携わった過程で思うに至りました。
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