父: 今日の話の前に、冒頭に掲載してある図を見てよ! 昔、ちょっと興味があり社人研のサイトから当時の全市町村のデータをダウンロードしたよ。
娘: それを人口の多い順に並び変えてグラフにしたものね。
父: そうだね。小売り経営で「20:80の法則」というものがあるよ。
娘: 売上の8割は2割の品目で成している…てやつね。
父: 自然現象では除けば、人が関わる社会現象分野では多くはそうだよ。グラフの横軸は、全国の区市町村で合併前で1870箇所あったよ。折れ線グラフは人口の累計だよ。
娘: なるほど、これをみると、人口の8割は地域の28.3%にあたる529地域に住んでいるということになるね。
父: そう、残りの人口2割が1341にも及ぶ地域に住んでいることになる。この過疎化の著しい地域の殆どは、これまでに過疎脱却を予感させるに足る兆候はなかったと思うよ。
娘: 今日の話は、その1341地域の話なんだね。
父: 昭和の後半に興味をもった「人口減少問題」なんだけど、もっと巷で話題になると思ったのにならなかったよ。今では、「全国的に減少している」と説明すればなんとなく納得するし、誰が責任とらなければならないわけでもない感じになった。
娘: 昔は確か “人口が増える” “増やすことが目標となる着地点”でないと新しい事業ができない時代もあったのにね。その点では、気持ち的には携わる人も「楽」…かな?
父: 誰も責任をとらなくてよいというのは、現役時代は事務屋であった私からみれば一番ホッとすることだよ。
娘: お父さんは、いつも「人口減少は売上減少に似ている」というよね。じゃあ会社の場合も「日本全体で企業の売上が減少しているから仕方ない」ということ?
父: 確かに、株主総会で「他社も売上減少しているし仕方ない」と説明し、「こんな努力を毎年しています」と何十年も繰り返して行うだけでは納得してくれそうにないね。
娘: でも、ここまでがお父さんの思う第一ステージとすると第二ステージとは何なの?
父: 昔のこと、人口推計を人口問題研究所(現・社人研)の方に習ったときは、「これを習ってどうするのですか? 皆さんが必要なものならば私達も考えたい」と言われたよ。その方は数年後に計算や分析の仕方の書籍を発行したので、私だけでなく世間でも「需要はあるんだ」と思った。
娘: 今は、人口減少対策へのツールとして行政が中心に行っているよね。
父: うん。「みんなで考えよう」と広報するけれど、それがなくとも人口減少対策がマニュアル化されたというか、わき見をせずに一本の道を高速道路で目的に向かって車で走るようになされている。
娘: わかった! それが第一ステージとすると、第二ステージは車ではなく歩いて、それも各地域なりに違いがある周囲の景色をみたり道草する部分があった方がいい…と言いたいんだね。
父: そうなんだ。「急がば回れ」というか「ユックリ急ぐ」というか…。まずは原点に戻って地域の観察から始めよう…なんだ。
娘: 私の地域では、集落の仕事がすぐに回ってくるとか、幾つも掛け持つとか、神社を守れないとか…身近で問題が大きくなりつつあるね。
父: 移住者への期待も、地域の仕事や行事を担ってほしいと思う面があるけれど、移住者には関係ないことかもしれないし、仮に担っても移住者を含む若者には今の延長では手一杯になるかもしれないし…
娘: 確かに、人口減少➡過疎化➡活性化の流れの中で、いつの間にか「70代のお父さんを30代の昔に戻そう」みたいになってしまうところがあるよね。
父: そうだね。昔の賑わい?活性化?を知っている人が求めることで、行う若者や移住者にとっては昔を見たこともない場合もあるよ。
娘: 移住を受け入れるということは、恰好よく言えば「新しい生活の仕方としての文化を創る」ことでもあるよね。その心の準備がないと、きっと今までの地域には無かった摩擦がおきる…と考えるわけね。
父: 昔、パソコンに仕事を入れようとしたときのこと、「現在の仕事をパソコンで行えるようにする準備となる前作業。それができたときに既に仕事の改善がなされている」と言われたよ。
娘: 移住者と地域の関係も同じかもね。でも、問題が発生するのは集落、郷、隣組という身近でおきることになるね。前準備、それは既に起きている問題点を解決しておくことだよね。
父: 過疎の問題点の一つは、常に前よりも少なく、今よりも少ない人数で物事を行うことにあるよ。
娘: 何度も聞いたから覚えているよ。全国60箇所へ商工会を通して調査したら、人口が1万人のところも、5千人のところも、千人のところも言っていることは同じだったということよね。
父: そう。行事ができない、地域の役がすぐ回ってくる、田畑が荒れる、若者が駆り出され忙しい…などだね。
娘: 必要なのは、大正時代?にあったと習った問題解決への「生活改善運動」の地域版かな?
父: うん。 そこで、今回は「観察」という視点を取り上げて、観察する対象としてのドラッカーも例とした「人口」を取り上げてみたんだ。
娘: ドラッカーって経営学の神様よね。お父さんの人口推計と関係があるの?
父: 未来のことは誰もわからないけれど、現在とは違うってことは誰もがわかる…と言っているよ。
娘: だから予測するんじゃないの?
父: わからない未来を推測するのではなくて、あくまでも今に焦点をおいて、ここで既に起きていることをシッカリ観察すると、その分野々々で現在とは違うことがみえてくる場合があるよ。それが「すでに起きた未来」だね。
娘: 何だか、分かったようでわからない?
父: すでに起きた未来を考える中で、「人口構造」の変化は典型的な「既に起きた未来」とドラッカーは例に上げているよ。
娘: なるほど。
父: わからない未来を推測して、すぐに行動に移すのは、あまりよいことではないとしているよ。
娘: どうして?
父: ネットからの情報や他人に聞くだけだと、行く末を正しく捉えられない場合があるからね。それを基に未来を推測して行動に移すと困る場合があるよ。
娘: わかった。人は物事の一面を理解しただけで、すべて理解したと錯覚してしまうときがある「群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす)」という教訓ね。
父: うん。出されたデータに対しては評価したり対案を出したりするけれど、出されていないことに対しては当然ながら話題にもならないからね。
娘: なるほど。
父: 例えをだすと、調査でいえばアンケートと観察の違いかな!
娘: どんな違いなの?
父: アンケート調査は、答えはわかっていたり絞られていることが多いよ。どれを選ぶかを知る場合が多いと思うよ。
娘: そうだね。観察は?
父: 何を問えばよいのかわからない場合だね。聞くこと自体の全体像がわからないから密着して観察することになる。
娘: そうすれば、 本人自体が気づいていないこともわかるね。
父: だから新製品づくりの分野で使われたりする。
娘: 観察される本人さえ気づかないもの、顕在化しているニーズではなくてウォンツがわかるわけね。
父: 次の図は現役だった頃の事業報告書の一部だよ。
娘: 目標として、「意識の方向をまとめよう」「力の方向をまとめよう」とあるね、
父: 今は、全国どこも行政主導で人口減少対策をしているけれど、当時は思い々々の対策だったね。
娘: 過疎化脱却への先進事例が次々と紹介され学ぶ時代ね。
父: そう。ただ、どの地域も過疎脱却の前提となる意識の方向がバラバラで、結果として力の方向もまとまらなかった時代の気がするよ。そんなことから新潟日報が事業報告について11回連載してくれたんだ。
娘: それから●年を経た現在は、今度は行政が主導してくれるから観察で気づくようなアプローチはしなくてよくなった訳ね。
父: そう思う。観察すれば当然気づくようなこと、対策を練る場合に誰もがする思考の流れもしない場合が多くなった。前述の「群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす)」だね。
娘: 例えばどんなところ?
父: 例えば、人口減少に伴う過疎化対策として産業振興に焦点をあてる場合があるよね。でも不思議なんだ?
娘: 産業振興は大切な対策だよ! どうして?
父: 私が働かなくともよいのは子ども達がいなくなったからだよ。人が減れば必要な所得が少なくてすむし、産み出さなければならない付加価値、そして売上高だって少なくよいのに話題にならない...
娘: なるほど。私が島外で生活するときは、まず最初に生活費は幾らかかるか、仕送りは幾らもらえるかを知り、不足分を幾らバイトで稼ぐべきか…という流れになるものね。
父: うん、その流れからすると、「人口減少がある。しかし住む人の生活には、これだけの生活費を生み出すための産業が必要」…からスタートするのが一般的なだね。
娘: そうだね。同じようなことは他にもある。どれだけのことをすれば人口減少が止まるとか、間違いなく過疎を脱却できるという数値も公には示されていないわね。
父: 当面は、どの地域も流出入差を無くそうとしているよ。でも、そうなって者何事もないように多くの地域は減少は止まらないよ。
娘: そうなの?
父: 多くの地域は、何十年にわたり一度も過疎脱却の予感をさせたことがないと思うよ。それなのに年度が代わるごとに「人口減少」対策を繰り返して言うよ。
娘: 何か、お父さんの恨み節を聞いているみたい。嫌われるよ!
父: そうだね。反省しないとね。
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