相続した利用しない土地を手放す制度の紹介 ~国庫帰属制度の相談と結果・私の場合~

By gkmyhn, 2024年5月4日

相談記録

当制度の相談を法務局にしたところ、記録にもあるように私の土地に国庫帰属制度は活用できる感触でした。しかし、この土地は結果的には譲渡することになりました。当制度を使うか譲渡するか等を含め、解決までは紆余曲折があり、弁護士や司法書士事務所の方々にはお世話になり助けられました。私の場合、当制度が創設される前夜だったので、よく「来年4月に国へ手放す制度ができるから、それまでに死なないでね」(笑)と言われながら他の解決策を含めて模索したものです。このようなことから、紹介するのは結果としては使わなかった制度の相談記録です。しかし、まだ当制度に関する相談自体が県内では少ないだろうと思い、相談記録は弁護士と司法書士事務所の方に「相続で困っている他の人の参考にしてください」と渡しました。その記録を公開します。

ただ、該当した土地は譲渡したため、地籍図や謄本その他の資料や助言記録は譲渡先の個人情報となることから、全てを公表することはできません。しかし、内容をご覧いただければ相談することへの敷居は少しですが低くなると思います。私自身が問題や課題のあった当時は「溺れる者は藁をも掴む」状況でした。

 ➡国庫帰属制度の相談の仕方と結果(ここ)   ※PDFファイル5頁ほどです。

新潟県内の全ての相談を担当する窓口は、「新潟地方法務局」です。場所は、徒歩の場合、佐渡汽船から柳都大橋を渡り直線で30分ほどの右側にあります

 

経緯

対象となった土地そのものは150坪弱の宅地です。私が「運が良かった」「助けられた」というのは、ここに記載する「経緯」の内容ことです。父からの相続手続きも終えた10年位前の或る日のこと。「あなたの土地の耕作者が他人になっているよ」と話してくれる農業関係の方がいました。

調べてみると76歳の私の生まれた年に、祖父が購入した土地の所有権の移転登記がなされていないものでした。名義人は既に100年前に亡くなっている人でした。名義人の家族が引越したときに購入したもので、相続者関係者が誰も佐渡にはいません。そこで、まず司法書士に頼み名義人の相続関係者を調べてもらいました。今も、そのような調査ができるのかわかりません。この結果、相続関係者は7名おり、全国に散らばり中には行方がわからない人もありました。この時は、これでは私まで所有権を移すのは難しいと断念しました。父は、知らずに何十年も耕作していたので「取得時効」もあるから、問題が将来起きても対抗できるだろう位に考えていたのです。

そして平成4年。子ども達は佐渡へは帰らない(継がない)ことから、後々に子ども達や孫たちも困るだろうと全不動産を譲渡しました。こうして必要な全てのことが終わり、お世話になった方に報告した直後の12月のことです。新聞に「相続の義務化」が大きく載っていました。弁護士に相談したところ、「きっと何時か先方の関係者に照会がいくだろう。今のうちにキチンと対応した方がよい」ということでした。

改めて相手方の相続関係の報告書をみると、私と同じ世代の被相続者が多い状況です。次の子どもの世代は関係者が十数人に及ぶこともわかりました。お互いの顔を知らない人達が全国に散らばることから、私が対応する以上に解決は難しくなるでしょう。「先月は”戦いすんで日が暮れて”と(弁護士)先生に2カ月ほど前に言って別れましたが、今は、”日暮れて途遠し”となりました」…言ったものです。これは平成5年1月のことでした。

いろいろと考えた結果、相続者全員を私が捜して出向き説明し、その過程で行方不明の方の情報も得ようと考えました。そして、一人ひとりに相続手続きをしてもらうのではなく、「取得時効」を基に裁判する方法で、一挙に解決したいことを相手方に提案してみることになりました。そう決まり、帰ろうとしたときに(弁護士)先生が「これは農地解放の一環として新潟県が一旦買い取り祖父に売り渡したものだから、当時であれば県が代位登記している案件。今からでもそうなれば一番いいんだがなあ」とポツリと言いました。それを聞き、「では私が、農地事務所に相談してみます」と言ったら、「司法書士の方がよい」と言われ、今回お世話になっ司法書士事務所を訪ねたのです。振り返ると思うのですが、弁護士の凄さは、全ての関係書類を用意させて隅々まで目を通すこと、そこから当人の私も気づかないことを見つけ出すことだと今も思い出すたびに感じます。

冒頭で「運が良かった」と書きましたが、それは家じまいの過程で76年前に新潟県が祖父に出した「売渡書」原本が出てきたことです。司法書士事務所の方は、これを持参して県農地事務所の担当と折衝してくれました。同事務所の担当者は若くて熱心だったと聞きました。76年前の県保管の「売渡書」(写し)を探し出してくれました。そして、農林水産省と折衝して3カ月ほどの後に代位登記まで一挙にしてもらえたのです。後で、(弁護士)先生へ報告すると、「よく司法書士事務所が引き受けてくれたね」と。「問題があれば、この司法書士がいいよ」と推薦してくれた方に改めて感謝しているところです。この後、宅地を元々の農地に変える手続きをいたしました。 (

※所有権移転登記ができなかったのは、宅地であったものを農地として県?が祖父に売り、県が農地に転用して登記しようとしたら、宅地のままにしておいてほしいと言う祖父との間で折り合いがつかず、手続きが延び延びになり何時しか放置されたものかな?...と思っています。

以上が経緯であり、「運が良かった」「助けられた」ということの内容です。この10年間、問題や課題ありもがいていると助けられた、運が良かったと思う出来事が多くなりました。

 

多くが困り迷う相続

佐渡市の空き家は平成30年で7300軒とあります。この活用が活発になされています。自分の置かれてきた立場から考えると、その空き家一軒に何人かの関係者がいるだろう、そうすると何万人という人が困っているんだと考え、少し恐ろしくなったりします。相続されてないものが日本全体では九州ほどの広さに及ぶとも聞きました。

終活の活動もゴールが見えるところまで来てみると、「財産の整理はもっと早く着手すべきだった。私の場合、自分の力ではなく、たまたま運よく、そして助けられただけ」という反省の念が強く湧きます。現役時代の仕事で、このような終わり方はなかったし、それでは許してもらえないでしょう。

この記事サイトを読んだ方々は大丈夫でしょうか。仕事や生きがいなどで使った「自分の舞台」、それが相続を受ける子、孫、兄弟姉妹などに負担がかかることはないでしょうか。相続される人が「欲しい」と言う以外の”自分の使った舞台”は無くせるでしょうか。

年老いたら現役の延長の活動だけではなく、早めに「老後には老後にやるべきことがある」知ることが大切だと反省しています。佐渡の未来がどうなるかわかりませんが、経営であれば「最悪を想定して最善を尽くす」でしょう。

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